推しブツは、元三大師さま。

元三大師さまをお祀りするお寺&元三大師さまに関する伝承などの覚書。 お寺の情報はお参り時のものなので、最新ではない場合があります。 伝承などは、なるべく元情報を記載しました。

元三大師

元三大師さまとは、慈恵大師良源さま(912~985)の通称です。
正月三日に亡くなられたことから、そのように呼ばれるようになったそうです。
天台宗第18代座主となられた高僧で、比叡山中興の祖として尊崇されていますが、一般的な知名度はイマイチ低いように思います。

ところで、奇妙な姿をした「角大師」のお札を見たことがある人は多いのではないでしょうか。
この「角大師」のお札、実は元三大師さまのお札なんですよ。
探してみると、いくつものお寺で入手できます。
角大師=元三大師さまと広く認識されていない節はあるけれど、今も多くの信仰を集めている方なんです。

他にも「厄除け大師」と言ったら、弘法大師空海さまか元三大師さまのことです。
(真言宗のお寺だったら弘法大師さま、天台宗のお寺だったら元三大師さまですね)
お参りしている人はどちらをお祀りしているお寺なのかご存知だと思いますが、一般的には「大師=弘法大師」と思われているような気がします。
(ちなみに大師って20人以上いるんですよ!)

信仰対象である一方、元三大師さまはいくつもの霊験譚がある魅力的なキャラクターでもあります。
「角大師」のお札の話を筆頭に、並々ならぬ法力の持ち主として登場します。
いくつかの本やネットの書き込みを探せば、エピソードが紹介されているのを読むことができます。

そんな元三大師さま関係のお寺やエピソードのまとめサイトがあったらいいのにな…と思うようになり、探してもなさそうなので自身の参拝の覚書を兼ねて、ブログを始めてみました。
ブログの体裁をとっていますが、元三大師さまに関するお寺などは日付に関係なく、以下の分類で載せています。
2019年1月 → 関西の寺院など
2019年2月 → 東京都23区内の寺院など
2019年3月 → 関東の寺院など(23区を除く)
2019年4月 → 上記以外地域の寺院など
お寺の情報はお参り時のものなので、最新ではない場合があります。
お札の名称は、お寺によって違う場合もありますが「角大師」「魔滅大師」「降魔大師」「御尊影」で統一しています。

2019年5月以降の記事は、元三大師さまに関することを思いつくまま、まとめています。
伝承などは、なるべく引用元を記載しました。

元三大師さまについての本2

新型コロナウィルス感染拡大で、角大師のお札が一部のネットユーザーの話題となった所為か、入手困難だった平林盛得著「良源(人物叢書)」がオンデマンド版として購入できるようになりました。
今なら入手のチャンスです!

更に、乳野プロジェクト(元三大師さまの母月子姫のお墓がある安養院を含む近江の地域活性化プロジェクトらしい。)として、谷崎潤一郎著「乳野物語」(株式会社サンリード)も出版されてます。
こちらは、カラー写真満載の解説があり、著者に元三大師さまのことを書くように話した天台宗曼珠院門跡の山口光圓門主についても詳しいのが特徴。

川勝賢亮著「武州拝島大師本覚院の歴史文化」「元三・慈恵大師良源の歴史文化史料」は、仏教学者でもある本覚院のご住職の著作で、「武州拝島…」の三分の一はご本尊の元三大師さまの生涯や元三大師信仰について簡潔にまとめられていて、「元三・慈恵…」ではもっと詳細な内容(読み物というより学術書)がまるまる一冊となっています。
 
この調子で、元三大師さま関連の本がもっと増えるとうれしいですね!
(個人的には、角大師のお札の図版を集めた本とか、欲しいです。) 

東京天台50号

都内の天台宗寺院の冊子で、主に檀家さんに配布されるようなのですが、一般の参拝者に配布している寺院もああって、入手できたものです。
1ページが東京の角大師札の紹介と聞き、どうにかしてゲットできないかと祈念していたおかげでしょう笑

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同じ角大師のお札なのに、微妙にお姿が違っているのが一覧できて、面白いですよね。
一般授与不可の寺院や、一般授与可だけど期間限定の寺院もわかります。
いくつか未参拝のお寺もあり、いずれ行こうと思ってはいたのですが、馴染みのお寺にも足繁く通いたく、なかなか機会を作れませんでした。
これも良い機会ですから、是非にもお参りに行こうと思います。

新型コロナウイルス感染拡大と疾病除け

新型コロナウイルス感染拡大の昨今、疫病除けで「アマビエ」が話題となっていましたが、アマビエは自分の姿を写して広めるようにと言っただけで、絵姿で疫病を退散させるとかは言ってないらしいです。
その点、元三大師さまの角大師お札は、疫病を退散させると元三大師さまがおっしゃった、お札を貼ったら疫病に罹らなかった、という伝承があるので、アマビエよりは信頼度が高いと思いますよー(笑)
アマビエ程ではありませんけれど、角大師のお札もネット上で見かける頻度が増えました。
その所為か、今まで角大師のお札を授与していなかったのでは?というお寺で授与されるようになったり、特集のムック本が出版されたり(「疫神病除の護符に描かれた元三大師良源」)、地元の情報誌で特集されたり(「ぽてじゃこ倶楽部」vol.157)、なかなか人気です。


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新型コロナウイルスには恨みしかない(色々なお寺の法要参拝不可とか法要中止とか!)ですが、角大師のお札で元三大師さまも話題に上り、ファンと致しましてはちょっぴり嬉しく思います。

洛中十八大師巡り

山田恵諦著「元三大師」によると、京都市内の元三大師さまのご霊場十八ヵ所を巡拝する「洛中十八大師巡り」というものがあったのだそうです(P286より)
各地の観音霊場巡りの、京都元三大師版といったところでしょうか。
詳細は不明なものの、廬山寺に「元三大師十八ヶ所巡拝」表の板下書きが残っているそうです。
順番は以下のとおり。

 1  廬山寺
 2  遺迎院
 3  革堂
 4  真如堂
 5  粟田御院内(尊勝院)
 6  祇園社内  ×
 7  養源院
 8  門出八幡社内  ×
 9  菅大神内  ×
10  神明社内  ×
11  御池八幡社内  ×
12  十二布袋薬師(大福寺)
13  三宝寺  ×
14  和光院  ×
15  光林寺  ×
16  金山天王寺  ×
17  上善寺
18  般舟院  ×

明治維新までは続いていたらしいですが、神仏分離令で神社内のものは跡形もなくなってしまいました。
お寺も「元三大師」発行時には九寺のみとなり、当初の十八ヶ所から半減していましたが、平成23年に般舟院の元住職が土地と建物を競売してしまい、現在はハヶ所になってしまいました。
般舟院の阿弥陀如来坐像と不動明王坐像(共に重要文化財指定)以外の寺宝は行方不明になってしまったようなので、元三大師さまがどうなったのか情報がありません。
どこかでちゃんと保管されていると良いのですけれども。
 
 元三大師霊場巡りが復活すると良いと思うので、天台宗の偉い方が呼びかけてくださらないかなぁ。
昭和10年に山田恵諦座主(当時は執事)が、新たな十八大師巡りを復興したそうですが、第二次大戦後に衰えてしまったそうなので、今一度!と思います。
元三大師さまをお祀りする各寺がまとまって観音さまのように専用の御朱印を授与してくださったり、お軸に各寺の御朱印と角大師の判を集めることができたりすると、とってもうれしいです。
 

古典に登場する元三大師さま(2)

元三大師さまが亡くなられた後のことについても、いくつかの伝承があります。

 ○「今昔物語集」
「祇園、比叡山の末寺に成る事(巻第三十一第二十四話)」
祇園社(現在の八坂神社。当時は神仏混交)の別当が、比叡山の末寺と紛争になった際に、天台座主(元三大師さま)の呼び出しに応じなかったため、座主は祇園社の神主らに比叡山に附属する旨の寄進文に判を押させます。祇園社の本寺(奈良の興福寺)は不当を訴えて訴訟を起こし、裁決前に座主は死去したが、興福寺側から裁決に出席する僧の元に座主の霊が現れ、座主に説得された僧は風邪と称して出かけなかったので、祇園社は比叡山の末寺となった、という話。

興福寺側の代表として出席する筈だった僧というのが、実際は元三大師さまより先に死去している人なので、「事実に反する部分を含んでいる」(平林盛得「良源(人物叢書)」P131より)とはいえ。
元三大師さまは、化けて出るほど勢力拡大に執心な人物というイメージのようです。
ただし、祇園社の帰属事件には異説もあるそうで、神社を管理する別当が供御の料を渡さないため荒廃してしまったことから、勅諚が下されたのだとも。(山田恵諦「元三大師」P143より)

「今昔物語集」は他に、本文が欠落して伝わっていない元三大師さまの話(「良源僧正が霊と成り観音院へ来て、余慶僧正を伏する事(巻二十第八話)」)もあるようで、とても気になります。

○「平家物語」
「慈心坊(巻第六)」
慈心坊尊恵という僧が閻魔王宮の法要に招かれ、閻魔王から「平清盛はただの人ではない。慈恵僧正の生まれ変わりなり」と聞いた、という話。

冒頭に「平清盛は悪人」とあるのに、閻魔王さまは「慈恵僧正は、天台の仏法護持のために日本に再び生まれた」とも言っていて、訳わかりませんが。
平清盛は比叡山延暦寺と揉めているようなので(祇園闘乱事件など。祇園社は当時、延暦寺の末寺)、護持したようには見えませんし。

この点については、京都の勝念寺(浄土宗)が所蔵する「焰魔法王尊像縁起」(勝念寺の公式サイトより)が補完しているようです。
なんと、元三大師さまは平清盛に化生して、宗論の恨みを晴らすため「南都焼討」を行ったのだそうです。
(天台の仏法護持とは、かつてのライバル寺院を焼き討ちすることだったの!?)
元三大師さまは、南都(奈良)法相宗と比叡山天台宗との宗論が行われた際に、比叡山の論匠の一人として活躍したんですよ。
双方がこちらの勝ちと伝えているようですが、実際のところは「勝敗は決しなかった」(「日本大百科全書」より)ようです。
それにしても、格上だった南都法相宗と格下の比叡山が互角に戦ったとも言える訳で、どちらにせよ、元三大師さまが南都を恨むというのもおかしな話という気がします。
ちなみに「焔魔法王尊像縁起」では、相手方の論匠(上記「祇園、比叡山の末寺に成る事」の興福寺の僧と同一人物)も織田信長に化生して「比叡山焼討」の報復をしたとされています。
(所蔵してるのが、天台でも法相でもない浄土宗の寺院…というのが、面白いですね)

○「太平記」
「雲景未来記の事(巻第二十七)」
 諸国を遍歴する山伏の雲景が、都で知り合った山伏に愛宕山の頂上へと案内され、魔界の王となった高貴な方々が天下を乱す評定をしている場面に出くわす、という話。

元三大師さまも魔界の王の一人として名を挙げられています。
魔界の王とは、崇徳院(御霊として祀られている日本三大怨霊のお一人)を始め怨霊となった天皇の方々などと、高僧の方々なのですが、死後に鉄鼠と化した頼豪阿闍梨や、死後に染殿后へ取り憑いたとされる真済僧正などはともかく、元三大師さまや寛朝大僧正(将門公の調伏をした、成田山新勝寺の開基)などは祈祷の霊験があらたかというだけでメンバー入りさせられているように思われます。

この二人は、円融天皇の加持祈祷で五壇尊法(五人の阿闍梨がそれぞれ五大明王を受け持って修法を行なう祈祷)を行なった際のメンバーで、天皇を奇跡的に回復させたとされています。
なおかつ、元三大師さまは不動明王のお姿に、寛朝大僧正は降三世明王のお姿に示現したと伝わっています(平林盛得「良源(人物叢書)」P194より。不動明王を示現のくだりは「慈恵大僧正拾遺伝」にあるとのこと)

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